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ンマリノ共和国の歴史 

ビデオテープ『NEMINI TENERI』から抽出

© Copyright by V.E. Pizzulin & M. Cecchetti

San Marino

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    19世紀:ナポレオン3世、カヴールへサンマリノを剥奪せぬよう命ずる

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Boutros Boutros-Ghali

ナポレオン時代もようやく終焉する。

ウィーン会議により、イタリアの地図が改訂され、サンマリノは、新たに細分化されたイタリア半島内で再び教皇領に囲まれるが、もはやイタリア統一が間近であった。

イタリア統一化を掲げる自由主義者たちの中には、統一化だけでなく民主共和国制のために戦う者もいた。

そこで、民主主義を守る共和国、サンマリノが理想的なモデルとして承認された。

その民主主義の代表者がサンマリノに対し共感することとなったのは、彼らの英雄、ガリバルディが、1849年、オーストリア軍に追跡されサンマリノに入った時に遡る。その時、ガリバルディはローマ共和国の一千人の帰還者と共に、サンマリノに難を逃れるが、すぐに武器を所持し訓練された一万人の軍隊に包囲され、逃げ場を無くし、無条件降伏か戦いかの選択を迫られる状態となっていた。

サンマリノは、両者の調停役にまわりながらオーストリア軍を遮断した。ある夜、ガリバルディとその妻アニータ、何人かの将官を逃走させ、他の捕虜兵には治療、食糧、援助金、安全通行証を保障した。

その結果、サンマリノへのガリバルディと自由民主主義者の感謝はゆるぎないものとなり、同名異人のナポレオン統治下のフランスからの保護も確実となる。

事実、カヴールのイタリア国家統一実現に、ナポレオン三世、ガリバルディ、自由主義者の存在は必要不可欠であった。

1860年、カヴールはピエモンテの軍隊を率いティタノ山を下る際、サンマリノを見放す以外なすすべもなかった。

ティタノ山の住民は再び安堵し、すぐに、主権を承認する条約編集を新制イタリア権力に求めた。しかしその条約が認可されたのは1862年、カヴール没後、再びガリバルディ、ナポレオン三世援護下のラッタッツィ政権時代となる。

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NEMINI TENERI

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Beatus Marinus

4

Consules  1243

5

Malatesta Montefeltro Albornoz

6

 Respublica

7

 Della Rovere

8

 Bembo Addison

9

 Napoleone

10

 Napoleone III Garibaldi

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